【論考】れいわ新選組とは何だったのか スピード違反で幕を下ろす“山本太郎劇団”の限界

国際・政治

れいわ新選組とは、いったい何だったのか。

山本太郎代表が7月9日、代表職を辞任する意向を表明した。理由は、昨年秋の大幅な速度超過(法定速度80キロ区間を時速149キロで走行)による罰金・免停処分への責任と、自身の健康問題だという。さらに党名変更や、大石晃子共同代表の離党意向まで報じられ、党は一気に揺れている。

あれだけ日本政治を騒がせた政党が、代表一人のスピード違反をきっかけに、代表辞任から新体制移行へと雪崩を打つ。もちろん党が今すぐ消滅するわけではないし、代表選も行われる。だが、この騒動が突きつけた問いは重い。

れいわ新選組は、本当に「政党」だったのか。

それとも、山本太郎という強烈な主演者を中心に回る“政治劇団”だったのか。

その問いから、もう逃げられなくなった。

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代表辞任で露呈した、れいわ新選組という政党の本質

「弱者の味方」か「怒れる問題児の舞台」か

れいわ新選組は「弱者の味方」を掲げて登場し、既存の政治がすくいきれない人々の怒りや不満を可視化した。政治に関心を失っていた層に「怒っていい」と思わせた功績はたしかにある。

だが、彼らは最初から危うさを抱えていた。

怒りを集めることには長けていても、それを制度へと昇華させる力が弱かったのだ。強い言葉で既存政治を殴りつける破壊力の裏で、その先にあるはずの組織運営やガバナンスはいつまで経っても脆弱なままだった。

れいわ新選組は、弱者の味方であると同時に、政治の問題児たちを舞台に上げる政党でもあった。そして、その最大の問題児こそが山本太郎氏本人だったのである。

“騒動”を燃料にしてきた劇場のツケ

山本氏の政治手法は、常に劇場型だった。園遊会での手紙手渡しや、安保法案採決時の牛歩と喪服姿。怒り、叫び、空気を壊すことで注目を集めてきた。

それは党全体にも波及した。水道橋博士氏の辞職に伴う「れいわローテーション」構想は制度の隙間を突く奇策に見え、櫛渕万里氏の懲罰騒動もまた「パフォーマンス」と受け取られた。

問題児を抱えること自体は悪くない。政治には空気を壊す人間も時に必要だ。だが、それらを売りにするならば、受け止めて統治するだけの「組織の器」が必要だった。れいわには、その器が決定的に欠けていた。街頭やSNSを騒がせる力はあっても、有権者に「任せられる」と思わせる安心感に変えることはできなかったのだ。

「たった1人のスピード違反」で終わる政党の脆さ

法定速度を69キロもオーバーする時速149キロ走行は、決して軽い問題ではない。当然批判されるべきだが、それでも一つの政党が、代表個人の不祥事で根本からグラつくのは異様である。

普通の組織なら、トップが不祥事を起こしても次のリーダーが立ち、淡々と引き継がれる。しかし、れいわの場合は山本氏が退くと「党の存在理由」そのものが揺らいでしまう。

たった1人のスピード違反で終わるかもしれない政党。

この尋常ではない脆さは、れいわ新選組が結局のところ、山本氏がマイクを握っている間だけ成立する党だったことを浮き彫りにしているのではないか。

「もう政治活動に飽きたのか?」という疑念

今回の辞任劇を見て、冷ややかな人ほどこう思うだろう。

「山本太郎氏は、もう政治活動に飽きたのではないか」

もちろん本人は健康問題を挙げているし、外部が軽々しく断定すべきではない。だが、今年1月の議員辞職に続き、不祥事の発覚とともに代表も辞め、さらには党名変更まで取り沙汰される流れを見ると、責任を取ったというより「山本太郎という看板を畳み始めた」ように見えてしまう。

あれほど激しく他者の責任を追及してきた人物の幕引きにしては、どうしても潔さに欠け、その決断に重さが感じられないのだ。

結局、それは“山本太郎劇団”だったのか

党名変更の可能性が報じられていることも象徴的である。

個人色を薄め、組織政党へ脱皮するための再出発かもしれないが、見方を変えれば、これは“山本太郎劇団の撤収作業”にも思える。看板や代表を変え、山本太郎色を薄める。そこまでしなければならない時点で、いかにこの党が山本氏個人に依存していたかが露呈している。

最大の弱点は、山本氏が弱かったことではなく「強すぎた」ことだ。

演説も、存在感も、メディア映えも強すぎた。代表の顔で観客を集め、代表の言葉で舞台を動かし、代表の怒りで熱狂を生む。主演者が叫べば舞台は成立するが、彼が降りた瞬間、組織としての実態のなさが残酷なほど浮き彫りになってしまった。

ここ数年、れいわ新選組が日本政治で無視できない存在だったことは間違いない。だが、それほど騒がれた党が、1人のスピード違反であっけなく崩れかけている。

まだ終わったわけではない。しかし、山本太郎氏が舞台から降りた後の「空白」を誰も埋められないのだとしたら、その答えは一つしかない。

れいわ新選組の正体は、最初から政党などではなく、山本太郎という一人の主演役者が自身の欲求を満たすためだけに作り上げた彼専用の劇団だった……そう言わざるを得ないだろう。

れいわ新選組の本質、あなたはどう思いますか?

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