ポケモンより、デジモンが好きだった。『コロコロコミック』より、『コミックボンボン』を読んでいた。ゲーム機を選ぶときも、任天堂やPlayStationではなく、なぜかSEGAのハードに惹かれた。
もちろん、両方を楽しんでいた子どももたくさんいた。それでも、当時の子どもの目には、「みんなが選んでいる側」と、その少し隣にある別の世界がはっきりと見えていた。
教室の共通言語は、いつだってマジョリティのものだった。
休み時間の机の周りでも、廊下でも、飛び交うのは『コロコロ』で仕入れた最新情報だった。任天堂やPlayStationの新作ゲーム、そして何より『ポケットモンスター』。ポケモンの強さは、ゲームとして面白いだけではなく、それを知っているだけで誰とでもつながれる「最強のコミュニケーションツール」だったことにある。
「どこまで進んだ?」「どのポケモンを育ててる?」
教室は、子どもたちが放課後の体験を持ち寄る、巨大で安全な遊び場だった。人気の中心にある作品は、好きな理由を長く説明しなくても通じる。その圧倒的な安心感が、多数派の世界にはあった。
しかし、その巨大な輪の少し外側で、別の世界を見つめる子どもたちがいた。みんながポケモンに熱中する横でデジモンの世話をし、コロコロではなくボンボンをめくり、任天堂やPlayStationではなくSEGAのゲーム機で遊ぶ子どもたちだ。もちろん、純粋にその作品が好きだったのだろう。だが、その選択には、言ってしまえば少しの「ひねくれ」も混ざっていた。
みんなが持っているから。みんなが遊んでいるから。そんな理由だけで同じものを選ぶことを拒む、不器用で小さな反抗である。人気があるものを嫌ったわけではない。ただ、「流行っている=一番面白い」という空気に、どうしても納得したくなかったのだ。
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「説明」が必要な世界と、少数派の旗
マジョリティの輪の中にいれば、何も説明する必要はない。しかし、少し外れた世界を愛する者には、常に「なぜそちらを選ぶのか」という説明が求められた。
「ポケモンの方が有名じゃん」と言われれば、「デジモンは育て方で進化先が変わるし、一度決まった姿に向かうんじゃなくて、同じ個体でも別の可能性があるのが面白いんだ」と語る。「コロコロの方がみんな読んでるじゃん」と言われれば、「ボンボンの漫画は少し暗くて、子ども向けなのに妙に重い話がある。その感じが格好いいんだ」と説明する。
SEGAのゲーム機も同じだった。「誰も持っていない」という孤独を抱えながら、アーケードゲームの空気をそのまま持ち込んだような作品や、少し大人びた世界観に触れ、「みんなが知らない面白さを、自分は知っている」と胸を張った。そこには、多数派の流行を「浅い」と決めつけたり、売上ではなく自分の感覚こそが正しいのだと思い込もうとしたりする、子ども特有の逆張りもあっただろう。
しかし、彼らはそうやって、自分だけの「好き」の理由を言葉にすることで、自らの輪郭を確かめていたのだ。教室の中心には入れなくても、決してどこにも属していないわけではない。別の教室、別の町には、自分と同じハードを持ち、同じ雑誌をめくる見知らぬ同志が必ずいる。
SEGAとボンボンは、孤立しがちな子どもたちが「自分たちは間違っていない」と掲げるための、誇り高き「少数派の旗」だった。
蔑称の中にも燃えていた「好き」という熱量
その旗の下に集まり、世間の評価とは別の「自分なりの価値基準」を深掘りしていく行為。それこそが、かつてのオタクへの入り口だった。
かつての「オタク」という言葉は、紛れもなく冷酷な蔑称である。人付き合いが苦手で、空気が読めず、特定の趣味に異常な情熱を注ぐ人間を、社会の隅に追いやるためのネガティブなレッテルだった。
しかし、その蔑称の根底には、熱を帯びた「好き」が確実に存在した。
アニメの設定資料を読み込み、ゲームの隠し要素を検証し、誰も気に留めない設定の裏側に魅了される。何を愛し、何に時間を捧げているのかという「内側の熱量」によって、その人間は定義されていた。だからこそ、普段は口下手で、教室の隅で息を潜めているような子どもでも、同じ作品を愛する者に出会えば、途端に言葉があふれ出した。
蔑称であるはずの「オタク」という言葉には、まだ中身があった。何かを過剰なほど好きであるという、不格好だが確かな人間性が残されていた。そして、その過剰な愛は、大きな輪に入れない者同士を引き寄せ、昨日まで知らなかった相手を仲間に変えた。
「陰キャ」「チー牛」という愛なき空洞
オタク」という言葉が、その人の内側にある熱量を指していたのに対し、「陰キャ」や「チー牛」は、他人から見た外見や立ち位置を指す言葉である。
何を愛しているかではなく、教室のどこにいるか。何に夢中になっているかではなく、周囲からどう見えるか。どの作品の何に心を奪われたのかという話は消え、その人物が明るいか暗いか、モテるかモテないか、垢抜けているかいないかだけが、冷たく切り取られる。
そこには「好き」がない。
だからこそ、「陰キャ」や「チー牛」という言葉は、「オタク」以上に空虚で残酷なのかもしれない。オタクと呼ばれた人間には、少なくとも夢中になれる世界があった。しかし陰キャという言葉は、趣味も情熱も持たないまま、ただ集団の外側にいる人間として処理してしまう。
時代は変わり、少数派を束ねていた大きな旗は見えにくくなった。
文化そのものが消えたわけではない。むしろインターネットの中には、かつてよりはるかに多くの作品と共同体が存在する。だが、それらはあまりにも細かく分かれた。
同じ教室の隅にいる者同士でさえ、同じものを見ているとは限らない。遊ぶゲームも、見る動画も、追いかける配信者も違う。かつてのSEGAやボンボンのように、複数の作品や趣味を抱えながら、「みんなが選んでいる側ではない」という一点で人間をゆるくつないでくれる、大きな少数派の旗は失われた。
もしあの時代に、SEGAやボンボンという旗が存在しなかったら、私たちはどうなっていたのだろうか。
共有する文化を持てないまま、ただ教室の隅で「暗い奴」として切り捨てられ、うつむいていただけだったのかもしれない。
少数派を受け入れていたSEGAという砦
私たちが「ただの暗い奴」にならずに済んだのは、決して私たち自身が特別だったからではない。
大人になり、SEGAが家庭用ゲーム機事業から撤退するまでの激しい競争の歴史を知ったとき、その事実に気づかされる。
子どもの頃、SEGAがどれほど厳しい状況の中で、任天堂やPlayStationという巨大な相手に立ち向かっていたのか、私たちは知る由もなかった。
クラスでは持っている者が少ない、少しクセの強いゲーム機。その中に詰め込まれていた新しい機能や斬新なゲームを、私たちはただ「自分たちだけが知っている面白さ」として楽しんでいた。
SEGAの大人たちは、少数派の孤独な子どもを救うためにゲーム機を作っていたわけではない。
本気で天下を取り、自分たちが信じる「新しい面白さ」を世に問うために、巨大な相手に挑み続けていた。彼ら自身は、最初から負けるつもりなどなかった。少数派になるために、尖った製品を作ったわけでもなかった。
しかし、彼らが妥協せずに作り上げたゲーム機や作品は、結果として、マジョリティの輪に入れない子どもたちを迎え入れる、強靱な砦になっていた。
多数派と違うことを、恥じなくていい。
売れているものだけが、正しいわけではない。
誰も知らなくても、自分が面白いと思ったなら、それを信じていい。
SEGAは言葉でそう教えたわけではない。だが、任天堂やPlayStationの隣で、何度失敗しても自分たちなりの面白さを世に問い続けるその姿そのものが、少数派の子どもにとって一つの証明になっていた。
あの旗を支えていた大人たち
だから後になって、SEGAが家庭用ゲーム機事業から撤退するまでの歴史を知ったとき、わずかに涙を覚えるのかもしれない。
敗れた会社がかわいそうだからではない。
「陰キャ」という愛のない言葉で処理されてしまいそうだった自分たちを、向こう側では大人たちが本気で支えてくれていたことに、今になって気づくからだ。
テレビの下にあった、クラスで持っている者の少なかったゲーム機。何度も読み返し、端が擦り切れたボンボン。誰にも頼まれていないのに、その魅力を懸命に説明していた幼い自分。
私たちが掲げていた「少数派の旗」は、決して自然に風になびいていたわけではなかった。
あの頃の子どもたちは知らなかったのだ。自分たちの居場所になったその旗が、名も知らない大人たちの情熱によって支えられていたことを。
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